❖ 新年あけまして おめでとうございます。ペースを少し落としますが、本年も宜しく!
・すっかり遅れ遅れの新年ご挨拶となりました。自分のバランス感覚から言っても、物事
が時節に乗りそこねるのは、みっともない話、我ながらきまりが悪い事態なのですが、
期限の迫っていた友人からの委嘱の作曲に、なかなか着手できぬまま、年の瀬近くと
なってしまい、意を決して元旦を挟む前後ずっと仕事場に”お籠り”して、制作に没頭し
ていました。紅白の後半すこしと「ゆく年くる年」の冒頭の薬師寺をチラ見した程度で
2020年に入っていました。‥‥‥何とか、独奏25絃のための「野菊路」なる独奏曲と
立原道造の詩によるソネット「序の歌」の弾き歌いによる25絃のための箏歌の2作品が
年を挟んだ前後に完成しました。シミュレーション・データはできているのですが、譜
面の清書がまだ完了してないので、作品については、後日のご紹介となりますが、とも
あれ漸く肩の荷が降りた思いです。例年のごとく、質素な(と言うよりも貧相な)終戦
直後スタイルの雑煮・お節、客なし亭主独りの初釜(千鳥屋の花びら餅ともに)など、
型通りに正月を過ごしましたが、用務に追われたおかげで、自堕落な寝正月にならず、
身を律しきれたのは、せめてもの功徳でしょうか。ともあれ、旧年中の、拙いブログを
訪れていただいたご好意に感謝、本年もご交誼のほど宜しくお願い申し上げます。
・年を追うごとに、自分の知己・楽友が遠くへ旅立った訃報を受けることが数多くなりまし
た。一昨年はソプラノの内藤千津子さんを見送り、なかなか辛い思いをしましたが、昨年
もまた、自分にとっては殊更に辛い二つの訃報に接しました。一つは、これまで関西波の
会において、活動を共にしてきた作曲の玉井 明相談役が、昨年12月に鬼籍に入られました。
長年に及ぶ療養の末のことですが、病状の苦痛を顔に出されず死の直前まで作曲に向き合っ
ておられた氏の壮絶とも呼べる人生に、今も心揺さぶられます。ただ、幾つかの歌曲作品は
これまでも数多くの歌手の皆さんに歌われていて、今後も我々の会で、心して歌い継いで行
こうと皆が思っていますから、作曲家としての栄光はすでに手にされたも同然です。同じ作
曲仲間の一人として、氏のご冥福を祈るばかりです。
・自分にとってもう一つの辛い出来事は、もう30年以上も芸術仲間として交際してきた染色工
芸家で池坊短大の教授だった松原緑さんが、少し前から内臓の疾患を指摘されて療養中だっ
たのですが、親戚のお墓参りの暑い夏の道で卒倒されて、手厚いリハビリの甲斐も無く昨年
11月に亡くなられたことです。その事を家族の方から僕は年末近くに聞き及んだのですが、
77歳だったとか、僕より8歳年下だった事になります。これまでにも「京都夏過ぎてのち」
「高台寺・萩のえにし」「七つの遠い思い出」「銀河はるか」など(他にもあるのですが)
青花社譜房から出版した僕の楽譜に、素敵な表紙絵を提供していただいた、感性のすぐれた
美術工芸家でした。ほんとに惜しい方を失い、今もなお辛い思いですが、これらの素晴らし
い形見こそ、これからも彼女を偲ぶ「よすが」となる事でしょう。
・新年早々から死者について語るのは本意ならずながら、幸か不幸か僕自身は、まだ少し生き
延びていそうなので、制作のペースは落としつつ(これは否応なしに、昨年からの傾向です)
今年も頑張って、自分の歌を歌ってゆくつもりです。ブログを通してのご支援 なにとぞ今年も
宜しくお願い申し上げます。 千秋次郎